1日約10万人の新規感染者が出ているインドが、「経済活動再開」を発表した。
NHKによれば、人口2000万人を超える世界有数の巨大都市ニューデリーの新規感染者も381人まで減った(2021年6月7日)。主要都市を中心に周辺地域でも続々と「人流抑制」が緩和されているという。
インドといえば、ちょっと前まで1日40万人を超す新規感染者が出て、「医師1200人が死亡」という大変ショッキングなニュースがあったことも記憶に新しい。そんな「阿鼻叫喚の感染爆発国」でさえ、庶民が生きていくためには徐々に経済活動を再開させているのに、日本では相変わらず「欲しがりません、勝つまでは」が続いている。
「社会や国民性が異なる他国と比べて何になる!日本には日本の戦い方があるのだ」という意見もあろうが、1日1884人(6月8日)という新規感染者数の水準で、連日のように「医療崩壊の危機」が叫ばれるような先進国はない。自粛や休業で生計を立てられなくなった「経済死」が爆発的に増えている、というのも日本特有の現象だ。
こんな日本の遅れたコロナ対策は改善するためにも、海外でうまくいっているものの中で活用できるものは、柔軟な姿勢でどんどん取り入れていくべきだろう。
その最たるものが、「抗原検査キットの活用」だ。
海外でイベントができるのはワクチン効果だけじゃない
現在、「尾身の乱」で注目を集める新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が5月7日、会見でこんなことをおっしゃった。
増加の兆しがでてきた変異株の監視対策の一環として、安価な抗原検査キットを活用して、コロナの症状がないような人でも検査を積極的におこなうべきだ――。
これによって、無症状の感染者が会社に出勤したり、繁華街を出歩いたりしてクラスターを引き起こすような事態が防げるという。
ただ、これはなにも尾身会長オリジナルのアイディアではない。欧米ではとっくの昔に「抗原検査キットの活用」は始まっていて、ワクチン同様に日本は周回遅れ。特に欧州では活用どころか、「無料配布」という段階まできている。
例えば、ワクチン接種が日本よりも進み、新規感染者数も少ないイギリスでは、学校に通う子どもたちとその家族、仕事のため外出する必要のある人を対象に抗原検査を提供し、4月9日からはイングランドの全ての市民が、週2回のウイルス検査を無償で受けられるようにした、とBBCニュース(4月5日)が報じている。また、フランスやドイツでも、医療機関や薬局に行くと、短時間で結果がわかる抗原検査キットが無料でもらえる。オーストリアでもすでに3月から15歳以上の国民に、この抗原検査キットが薬局で無償配布されているとニューズウィーク(5月15日)が紹介している。
そして注目すべきは、この抗原検査キットは経済活動再開にも大いに役立てられているという点だ。
みなさんはゴルフのマスターズやテニスの全豪オープンなどをテレビ中継で観戦して、なぜあんなに海外のスポーツイベントは観客を入れているのか、と不思議に思わなかったか。
「欧米では日本よりワクチンが進んでいるから」と思うかもしれないが、それだけでない。観客は観戦チケットについた無料の抗原検査キットで自分が感染しているか否かを入場前に自分で簡易的にチェックして、陰性だったら入場できるという仕組みなのだ。体温チェックよりもはるかに信頼性が高く、徹底的に無症状の感染者を施設内に入れないことで、「観客を入れた大規模イベント」が実現できている。
日本で検査キットの活用が進まない理由
そんな調子で、さまざまな場面で活用されている簡易検査キットを、日本でも遅ればせながら取り入れるべきだ――。
尾身会長の提言は極めて真っ当なもので、すぐに政府も病院や高齢者施設を対象に最大800万回分を配布予定だと決定。早ければ5月中にも始めるというニュースがあったが、6月9日現在、この計画が本格的にスタートしたという話は聞かない。
自治体や企業がそれぞれ独自の取り組みとして、抗原検査キットの無料配布をスタートさせているところもあるが、「国家プロジェクト」としての進捗状況としては、国民が実感できるものはない。ワクチン同様、他の先進国の足元にも及ばない状況なのだ。
では、感染拡大を防ぐためには大変な重要な鍵となると尾身会長も強く主張した「抗原検査キットの活用」が、なぜなかなか思うように進まないのか。
ワクチン確保競争で敗戦したような、日本の「お役所仕事」の問題も大きいが、実は日本の医療界が「抗原検査キット」に対して、かなりネガティブな偏見を抱いているということも無関係ではない。
先ほど紹介した海外の大規模イベントのように、参加者に抗原検査キットを配布したイベント運営をサポートする「医療科学を用いた経済活動継続のための検査研究コンソーシアム」という取り組みがある。コンソーシアム事務局の日比谷国際クリニック鈴木篤志氏はこのように述べる。
「医療従事者の多くは、抗原検査と聞くと、非常に精度が低いという印象を抱きますが、実はそれはコロナ禍になった当初のイメージが強い。今は精度がかなり上がってきており、PCR検査とほとんど変わらないものもあります」
実際、「医療科学を用いた経済活動継続のための検査研究コンソーシアム」で用いている米アボットの抗原検査キット「PanbioTM?COVID-19 Antigen ラピッド テスト」はPCR検査との陽性一致率91%以上、陰性一致率99%以上。厚生労働省から保険適用も受けている。
検査は本当に簡単で、綿棒を鼻の穴の入り口近くで回転させて粘液を取り、検査液が入ったチューブに入れる。そしてこのチューブから検査液を、カセットに数適たらす。10分ほどすると線が浮かび上がってくる。1本だと陰性。2本だと陽性だ。筆者も実際にこの「PanbioTM COVID-19 Antigen ラピッド テスト」で検査をしてみたが、あっという間にできてしまった。コンサートやライブ会場の入場経路で行うようにすれば、列に並んでいる時間でできてしまうレベルだ。
実際、このような検査キットを活用したイベントも国内で徐々に現れ始めている。
例えば6月3日から6日の間に開催された日本ゴルフツアー選手権森ビル杯は、2020ー2021シーズンでは国内ゴルフ大会では初となる一般ギャラリーの観戦をおこなった大会だったのだが、それを可能としたのは抗原検査キットである。
ギャラリーは全入場者を自家用車に限定。入場する際に抗原検査キットをドライブスルー方式で渡し、各自が車内で検査をする。そこで陰性だった人だけが車を降りてコース内へと入場できるという仕組みだったのだ。
もちろん、このような感染防止策はスポーツ観戦に限った話ではない。コンサート·観劇·映画館·寄席などあらゆるイベントの「有観客」の強い味方になる。職場や学校はもちろんのこと、飲食店の入り口に設置して陰性者だけが入店できるというシステムにすれば、「夜の街クラスター」もかなり防げるはずだ。
しかし、こんな便利なものが日本ではまだほとんど普及していない。プロスポーツ大会の主催者や、「医療科学を用いた経済活動継続のための検査研究コンソーシアム」のように民間が主導してどうにか広めているのが現状だ。
抗原検査キットの配布を妨げる日本の「ある通達」とは?
海外では当たり前のように普及しているものが、なぜ日本ではここまで露骨にマイナー扱いされるのか。この奇妙な現象は、「抗原検査キットへの根強い偏見」だけでは説明できないのではないか、と個人的に感じている。
もっとストレートに言ってしまうと、海外のように「抗原検査キット」を全国民に無料で配布したり、スポーツイベントやコンサートでチケットと共に配布をするということをよしとしない人たちが、このような動きを邪魔しているのではないかと疑り深い見方をしてしまう。
実は日本医師会では、かねてからインターネットやドラックストアで販売されている、「薬事承認されていない精度の低い抗原検査キット」が販売されていることを危惧していた。いい加減な検査で陽性·陰性を自分で判断されたら、さらに感染拡大につながる。これは多くの専門家も危惧するところで当然と言えば当然の主張だ。
ただ、引っかかるのは、この日本医師会からの指摘を受け、厚生労働省医薬·生活衛生局監視指導·麻薬対策課が出した結論だ。今年3月に日本医師会が全国の医師会に出した「新型コロナウイルス感染症の研究用抗原検査キットに係る留意事項について」という通達の中にそれがあるので引用しよう。
<発熱等の症状の無い方が、同感染症に関する検査の受検を希望する場合は、自費検査を提供する医療機関を受診するか、提携医療機関を有する自費検査提供機関において受検すること>
とにかく「検査」は医療機関へというわけだ。これを四角四面に受け取ってきっちりと守るとなると、先ほどの米アボットのもののように「精度が高く保険適用されている抗原検査キット」であっても、全国民に無料で配布するとか、入場チケットにつけて配布するというのはかなり「グレー」な話になってしまう。
実際、「医療科学を用いた経済活動継続のための検査研究コンソーシアム」で提供しているアボットの抗原検査キットはあくまで「医師主導治験」での使用という位置付けだ。
<医師主導の臨床研究で、医療者と使い方の説明を受けた一般の方との相関実験を行い、一般の方でも医療者と同等に検査可能という結果になりました>(医療科学を用いた経済活動継続のための検査研究コンソーシアムHP)
つまり、ヨーロッパやオーストラリアのように、抗原検査キットを薬局で無料配布するとか、大規模イベントで参加者に配布するというのは、日本医師会·厚生労働省からすると、両手をあげて賛成という話ではないということなのだ。
「コロナシフト」できない日本のガラパゴス体制
冒頭でも述べたが、日本の「医療崩壊」という現象は極めて特殊である。世界一の病床数を誇り、人口に対する医療従事者数もそれほど少なくない日本は、理屈からいえば1000人程度の感染者で医療が崩壊するわけがない。しかし、現実は、他の先進国と桁違いに少ない感染者数で、通常医療に支障をきたすようなほど医療体制が逼迫している。
コロナ危機が始まったばかりでどう対処していいのかわからなかった昨年の今頃は、どの国も医療崩壊の危険があった。しかし、医療資源がそれなりに充実している先進国は、この未曾有の危機に順応する形で、自国の医療体制を「コロナシフト」に変化させることで医療崩壊を回避してきた。しかし、日本だけがなぜか1年以上が経過した今も、「病床が足りてません」「医療従事者がハードワークで死にそうになっています」と、まるで医療体制が整っていない途上国のようなことを叫び続けている。
これは日本の医療レベルが低いわけではなければ、病床が足りていないわけでもない。「独特すぎる医療体制」が招いたシステムエラーである。海外では誰もが気軽に検査でき、感染拡大防止に大いに役立てられている「抗原検査キット」がいまだに「精度の低い怪しいもの」という汚名を着せられ、普及がまったくといっていいほど進んでいないのも、そんなシステムエラーが起きていることの証左である。
これを放置して困るのは我々だ。コロナ禍の中でもひたすら目を背け続けてきた、日本の医療のガラバゴスぶりに、そろそろ本格的に目を向けなくてはいけない時期に来ているのかもしれない。
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